湖北歯科医師会について|長浜市、米原市の歯科医師会「一般社団法人湖北歯科医師会」

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湖北歯科医師会について

湖北歯科医師会 会長挨拶

一般社団法人 湖北歯科医師会 会長

Sawatari shintaro

私たち湖北歯科医師会は、滋賀県歯科医師会を構成する7地域の一つで、長浜市と米原市の歯科医師で組織されており、令和2年4月現在、73名の会員と4つの公的医療機関で構成されています。本会は地域住民の皆様に対して、良質で安全な歯科医療を提供するための研鑽と、地域歯科保健の向上を目標に日々活動しています。

「ゆりかごから天寿までの一貫した口腔管理をめざす」を合い言葉に、妊婦から6歳児までを対象とした『親と子の強い歯をつくろう運動』を展開し、高齢者には『瑞歯(みずは)を守ろう運動』により歯科保健の啓発を図っています。6月には『湖北口腔保健フェスティバル』を開催し、多くの市民との交流の場として、湖北の風物詩ともいえる存在になっています。

湖北地域の乳幼児期・学童期のう蝕罹患率は、このホームページにお示しするように、年々改善されています。しかし、県と比較するといまだに改善の余地があるようです。「強い歯を作ろう運動」に参加されていない方、総じて歯科に関心の低い方に対するアプローチも必要と考えられます。

その一つとして、園・学校におけるフッ化物洗口が推奨されています。滋賀県の口腔保健条例にもその活用が記載されていますが、その実施は地元自治体に任せられています。以前は旧伊香郡の一部の学校で行われており、その有効性も証明されていましたが、市町合併により立ち消えとなりました。県内においてフッ化物洗口を実施する施設は近年増加しています。費用対効果は明らかであり今後の実現に向けて調整を図っているところです。

成人の歯周病予防・訪問歯科診療・障がい者歯科診療・いくつもの疾患をお持ちの方の診療など、日々臨床に携わりながら、歯科医師会として協力して対応すべき課題が多くあります。災害時の歯科医療の対応もその一つです。本会がこれらの課題に有効に対応するためにも、市民の皆様また関係諸団体の皆様のご理解とご協力をお願いするところです。

令和2年4月にホームページを一新することができました。今まで以上に本会の活動を地域に発信してまいります。地域の歯科保健の向上に役立てていただければ幸いです。

概要・沿革

湖北歯科医師会の歩み


湖北歯科医師会は、滋賀県の長浜市・坂田郡・東浅井郡・伊香郡の一市三郡の歯科医師が集結した進歩的な組織として結成されました。この源流は、昭和14年にさかのぼり、12名の歯科医師のつどいにより始まりました。昭和17年には、官制による滋賀県歯科医師会湖北支部が作られ、その中で長浜市坂田郡歯科医師会と、伊香・東浅井郡歯科医師会それぞれが、そのときどきの地域に合った活動をしてきました。昭和49年4月には両者が発展的に統合し、新たに社団法人湖北歯科医師会を設立し、より強固なつながりを持った組織として今日に至っています。

この間、湖北地域における学校歯科保健・地域歯科保健への事業を継続してきました。とりわけ全国的にも稀な、湖北地域の医師会との連合会を設立し、共有の会館を保有し、医師会とタイアップした地域の予防医療・地域歯科保健・地域学校歯科保健などの事業の充実を図ってきました。

その一つとして昭和42年より、乳幼児の口腔衛生指導および予防処置、妊婦に対する栄養指導と保健指導を含めた「強い歯をつくろう運動」を展開し、平成2年に厚生大臣表彰の栄誉に浴することができました。平成25年4月には、一般社団法人湖北歯科医師会として現在に至っています。

令和の新時代を迎えた今日、超高齢社会を迎えた疾病構造の変化、医療に対するニーズの多様化・高度化など、社会環境が大きく変化してまいりました。私たちはそうした時代の変化に対応して、住民皆様の信頼を得ながら、歯科保健・医療・福祉を通じて、地域社会にいかに貢献できるか、また貢献しなければならないのかを大いに考えて行動することが大切であると思っています。

沿革

湖北医師会館所在地

湖北医師会歯科医師会連合会
について

湖北医師会歯科医師会連合会(湖北医連)は、昭和42年3月に設立されました。その源流は、大正末期頃「三日会」と称する医師と歯科医師とで構成する親睦会ができたことに始まります。この「三日会」は、産科・耳鼻科・内科・外科等の医師と歯科医師あわせて10名程の集まりで、毎月3日に八幡町の住茂登で夕食会が開かれていたそうです。この「三日会」は、かなり長く続きましたが、断ち切れそうになった頃の昭和16年、当時長浜保健所所長であった吉村英一先生の提案により、長坂健一先生を幹事役に、岡野清先生を初代会長とした「春光塾」が結成されました。

会合においての話題は、医学の領域のみならず、時局や戦局に関するものから、医師はどうあるべきか、というような医道倫理にまで話は及んだといいます。また、公衆衛生活動のひとつとして、戦争中の物資の少ない中で、医師と歯科医師が共同で無医村地区に1日病院を開くというボランティア活動をおこなっていました。終戦後しばらく途絶えていた「春光塾」でしたが、メンバーが再び集まり「カント会」として復活しました。会は、戦後の混乱の続く中で、医師・歯科医師のあり方、人としてのあり方などの哲学や倫理についても真剣に論じられていたそうです。湖北医連の理念は、この「春光塾」や「カント会」の思想的背景に立脚するものでした。

このような全国にも稀な、医師と歯科医師との繋がりが礎となり、医科と歯科が共有する医師会館の建設が提案されたのでした。それは、会館を基盤として湖北医連独自の公衆衛生活動を展開し、地域の保健医療の向上をはかろうとするものでした。会館建設委員会等の会議を開き、討論を重ねるなか、候補地として長浜市が国道八号バイパス沿いに造成していた市有地を借用することができ、建設が実現する目途が立ったのです。当時の会員が、必死になって会館建設に取組んだ結果でした。 湖北という一地域の医師会歯科医師会が独立の医師会館を持つということは、驚天動地といってもよい出来事でした。かくして、湖北医師会館を基盤とする湖北医師会歯科医師会連合会が結成され、会館の維持と法人の運営にあたり、その目的である湖北の地域医療福祉保健に多大の貢献をしつつ半世紀に及ぶ歴史を歩んできました。

振り返れば、道路も悪く車も少なかった時代には、交通の不便な地域の住民に対して、何台かの車に機材を積み込み、班を分けて乗り合わせての診療が実施されました。昭和42年には3歳児の健診制度はありましたが、1歳6ヶ月児の健診制度はなく、乳幼児のむし歯が大変多く、治療が困難な子どもも大勢いました。それ故、3歳児では健診時期が遅すぎるということで、妊娠初期からの栄養指導・出生後の定期的健診・母親と家族を含めた保健指導を基軸とした「強い歯をつくろう運動」が開始されたのです。これには、医師会の産婦人科・小児科の先生・保健所や市町村の協力を仰いだことは言うまでもありません。

当時はビデオもなく、会員が映写方法を習ったばかりの16ミリの重い映写機を持って、あちこちの公民館などを転々とPR活動に出かけたものでした。また、中国でよく核実験があったころには文部省の依頼により脱落乳歯の収集によりストロンチウム90の調査にも協力しました。また、湖北医連の事業としての、予防接種・健康教室・学術講演会・公害問題の調査等の事業も実施されていました。その他にも年頭講演会と互礼会・研修旅行・家族会等の行事や、ゴルフの会・ワイン会・撞球・俳句や歌・魚つり・カメラ・ドライブ・囲碁・将棋・麻雀などの趣味の会を通じて親睦を深め、活発な活動が展開されていたのです。

湖北医連発足当時は3つの医師会と2つの歯科医師会の五団体で構成されていましたが、最終的には(社)湖北医師会と(社)湖北歯科医師会に統合されて2団体の構成となりました。平成12年小泉内閣において「行政改革大綱」が閣議決定され、平成16年12月には「公益法人制度改革の基本的枠組み」が具体化されました。平成18年3月には、公益法人である湖北医連に対して県の検査がありました。その際指摘を受けた公益事業費の割合について、理事会において検討を重ねられましたが、当時の体制で公益事業費率50%を満たすことは困難との結論に至りました。公益法人としては解散の方向で進むこととなりました。

平成19年2月には、湖北医連の設立のために中心的に尽くされた一人として、絶えず医連の存在に熱い思いを寄せられていた岡野捨男先生が他界されました。公益法人としての湖北医連は解散されましたが、設立の精神を抱きながら歩み続ける湖北医連を見守っていただけるものと思っています。喜びも苦しみも、共に歩んだ医連・湖北医師会館は、数々の思い出を残して消え去ることになりました。

今後の湖北医連は両医師会の友好と親睦を軸に、相互の連携を高め、より良き医療・保健のための医師会活動が充実向上し、あらたな発展をすることが期待されるところです。
(澤田藤一先生 岡野徳一郎先生 湖北医連会報より)

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